2012年05月

平泉は衣川と磐井川に挟まれた丘陵地帯。この丘陵地帯に諸説あるが、最低5万人から最高15万人が居住していたと伝えられる。当時、武家政権があった鎌倉の人口が20万人前後と推測されている。
頼朝から追われて奥州へ逃げた義経が頼みとした藤原秀衡が死去。秀衡は生前、その子の泰衡・国衡と義経に起請文を書かせ、義経を大将軍として兄弟力を合わせて頼朝を討つよう遺言。しかし泰衡は衣川の館の義経を襲い、義経は持仏堂にて妻子を殺し自害した。
衣川の戦いで、弁慶も奮闘ののち戦死する。槍が蓑虫のように全身に刺さったが、最後まで倒れなかった。いわゆる弁慶の立ち往生である。弁慶戦死地に石碑があった。そこは平泉金色堂へ上る入り口にある。死してなお義経を守るようだ。
写真中央の丘陵地帯に当時とすれば大都会の町並みがあった。
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衣川付近
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武蔵房弁慶の墓
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中尊寺へ行った。肝心の金色堂は撮影が禁止。黄金に輝くお堂に唖然とした。当時の奥州藤原氏の財力に驚嘆した。お堂に今も眠る藤原4代に思いを馳せる。金色堂の東側に松尾芭蕉の像と句碑があった。「五月雨の降り残してや光堂」。
 
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思い出のバスツアー。長野市を早朝6時に出発。上信越自動車道から上越ジャンクションで北陸自動車道に入る。新潟中央インターチェンジから磐越自動車道へ入る。途中で寄ったサービスエリア。黒崎・安達太良・長者原と来れば行き先は?
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木漏れ日に映る部分日食。墨絵のように幻想的な影絵。こんな絵は始めて見た。残念なことに長野市では金環日食ではなく部分日食だった。
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自宅のハナミズキが咲いている。花の色は白である。今年の花は、小さいような気がする。天気は快晴である。さくらジャパン、オリンピック出場おめでとう。
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